曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺 
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瑞龍寺開祖・能屋梵藝和尚

梵芸大和尚の墓

瑞龍寺は、戦国時代の永禄3年(1560年)、能屋梵藝(のうおくぼんげい)和尚によって開創された曹洞宗の寺です。 能屋梵藝和尚は、現在の静岡市内の沓谷にありました「長源院」の四世・梵梅和尚(ぼんばいおしょう)の法嗣でもありました。

徳川家康公は駿府城を居城とした折、駿河七ヶ寺の住持を度々お城に集め、曹洞の法門をお聞き遊ばれました。その折、 寺領御朱印(じりょうごしゅいん)を下されたのでした。
瑞龍寺もまた、駿河七ヶ寺の一つでありましたから、徳川家康公とは深い縁に結ばれいたわけです。

 

旭姫と瑞龍寺

旭姫の墓

豊臣秀吉公は徳川家康公と小牧長久手(ながくて)の戦いで対立し、同盟関係を築きたいと願っていました。
そのため、秀吉公は、天正14年、自分の妹である旭姫(あさひひめ)を、夫の佐治日向守(さじひゅうがのかみ)を離別させ、 当時、浜松城にあった家康公に嫁がせました。

家康公が駿府城に居城を移した折、旭姫も、共に駿府城へ移りました。
旭姫は、天正16年に自分の母である大政所の病気見舞いのために上洛しますが、天正18年に摂州有馬(現在の兵庫県有馬温泉あたり)で 病気のために亡くなります。
そして、京都の東福寺南明院に葬られます。四十八歳でした。

この後、家康公は瑞龍寺に旭姫の墓をたてました。
その時の法名が「瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼」(ずいりゅうじでんこうしつそうぎょくだいぜんじょうに)でした。 その法名から、お寺の名前は瑞龍寺となりました。

 

 

 

瑞龍寺住所