曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺 
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豊臣秀吉朱印状

豊臣秀吉朱印状

上図は、当寺に宛てた豊臣秀吉の朱印状で、日付は、天正18年(1590)8月22日。
内容は、 寺の山林伐採禁止、門前諸役といったように、寺の維持と保護を約束し、山屋敷(寺領)八貫文の年貢分を「光室総旭為菩提」、つまり旭姫の菩提を弔うために寄付するので、怠りなく勤めるよう命じたものである。
本状が発せられた年の1月14日に旭姫は病没したが、秀吉は、その後間もなく小田原北条氏攻めと奥州平定に向かい、天下統一を成し遂げて凱施する。
その途次に発給した文書である。

 

旭姫の桐沢潟立涌模様打敷

旭姫の打敷

(きりおもだかもん たてわくもよう うちしき)
上図は、立涌模様に、桐・沢瀉紋を刺繍した旭姫所用の小袖でしたが、後に、仏具である打敷に作り替えられて伝来したものである。
由諸書によると、旭姫追喜のため家康公より奉納された十六羅漢絵像と共に当寺の重宝とされ、この由諸書が書かれた時点で、すでに打敷の状態になっていたことが判明する。

 

桐紋蒔絵膳

秀吉使用の膳

(きりもん まきえぜん)
上図は、豊臣秀吉が小田原北条攻めの際に用いたといわれる蝶足膳で、胴と足に計20の胴紋が蒔絵で施されている。胴紋の胸囲の意匠など桃山時代の特徴を備える高級品で、秀吉が天正18年(1590)の小田原攻め及び奥州平定お終えて帰陣する途中、妹・旭姫の菩提寺である当寺に自己所用の品を納めたものと考えられる。

 

 

 

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