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道元禅師

道元禅師は、西暦1200年、土御門天皇の父親、内大臣久我通親公を父に、摂政藤原基房公の娘を母として、京都に生まれ、幼名を文殊丸と言う。
三才で父を失い、八才で母の死に逢い、世の無常を感じて13才の春、比叡山座主・公円僧正について得度。 後に、建仁寺を尋ね、栄西の高弟・明全和尚に師事する。24才の時、明全和尚と共に、入宋(現在の中国)。諸方の叢林に遍参された。

道元禅師画像

宝慶元年(西暦1225)天童山景徳寺の如浄禅師(1163-1228)に入門し修行した。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐」(しかんたざ)を重んずるもので、道元禅師はその厳しい修行を修めた。
如浄禅師の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。安貞元年(1227)、28才の時で、一時建仁寺に掛錫し次いで深草に閑居された。
なお、一緒に渡宋した明全和尚は渡航2年後に現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかった。

天福元年(1233)春、京都・山城に、興聖寺を開き、住すること10年。 44歳の時、波多野義重に請われて越前(福井県)志比庄に向かい、翌寛元2年 (1244)に大仏寺を興し、翌々年に永平寺と改める。
建長4年(1252)夏、健康がおもわしくなく、翌年に、後事を法嗣・孤雲懐弊禅師に譲り、京都で示寂。世寿五十四歳。

道元禅師の仏法を広く世に広めたのが、4代目の螢山禅師(総持寺の開祖)である。

 

 

 

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